【お世辞言われると嬉しいですか?】「誰彼構わず褒める人間は信用するな」

ジョン・チャートン・コリンズ(イギリスの随筆家)が、

「誰彼構わず褒める人間は信用するな」

と言っている。


聞いている方が恥ずかしくなるくらい、

お世辞を言って、ご機嫌をとっている男がいたが、

まあ、こういうことは当たっていると思う。


イソップ童話の「カラスとキツネ」のお話をご存じだろうか。

一度は聞いたことがあると思う。


カラスが一切れの肉をくわえて、木の枝に止まっていました。

キツネがそれを見て、肉を自分の物にしたいと考えました。

「カラスさん、あなたは実に姿が良くて立派ですね。 本当に美しい。鳥の王さまになれるのは、あなたの他にはまずいません。 きっと、歌声も綺麗なんでしょうね。 どうか、歌声を聞かせてくれませんか? もし歌声も綺麗なら、間違いなしに鳥の王さまですよ。」

お世辞を言われたカラスは、良い声を聞かせてやろうと、

「カァー、カァー」

と、鳴いてみせました。

肉をくわえたまま口を開けたので、くわえていた肉が下にいたキツネの前にポトンと落ちてしまいました。

キツネはすぐに肉に飛びつき、こう言いました。

「やれやれ、頭さえ良ければ、本当に鳥の王さまになれたかもしれないのにね」


このお話しは、おだてに乗りやすく、

考えの浅い人に聞かせる話しです。


お世辞を言われていい気になっていると、こうなる。

シャーシャーとお世辞を言う人間とは、付き合わない方が良い。


お世辞にいい気なっている人を見ると、人間的に小さいと思う。

お世辞がすぐに言える人間は、腹の中で何を考えているかわからない。

お世辞を言わない人こそ、本当に信頼できる友になろう。


論語の中に「益者三友、損者三友」という言葉がある。


「益者三友、損者三友」

『論語』にある孔子の言葉。

「直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり」

有益な友とは、素直で正直である人、誠実な人、見聞が広い人であり、有害な友とは、人に媚びへつらう人、人あたりは良いが誠実でない人、口先ばかりの人を言う。

友人は慎重に選ぶべきだとの意味が込められている。


「益者」とは、自分にとって有益な友人のこと。

「損者」とは、自分にとって害のある友人のこと。


多くのプロ選手を指導しているメンタルセラピストの溝口耕児氏は、

この言葉を引いて、自身のブログで述べています。


人生において、友であれ、知人であれ、同僚であれ、優れた人と関わり続ければ、自然人間性は高まるものですね。 

そう思われませんか。

人間は、霧の中にいれば、自然と衣服は湿ります。

同じように、悪人の中にいれば、身は自然に汚れます。

ならば、善人の中にいれば、当然身は正されます。

人間とは、意識無意識に関わらず、環境によって良くも悪くも、変化するものなのだという事です。

人間形成の重要なファクターも、もちろん対する人との環境ですね。

人間形成に最も大きく影響するのは、知人友人だという事です。

できることなら、自分より優れた人間と関わり、自分を成長させてくれる人と関わりさえすれば、自然と成長するという事でしょう。

詳しくは http://ameblo.jp/m-doit/


自分にとって「益者三友」を求め、「損者三友」から離れなければいけない。

その場にいて、自分はこれ以上成長できるののか、自問しなければならない。


ずるい人たちと一緒にいると、自分も知らず知らず、ずるい人間になる。

自分より、見識も人格も上の人と一緒にいると、自分も成長する。


良くも悪くも、自身と環境は同じレベルになろうとする。

人は肩書ではありませんよ。

肩書きで自分を紹介する人は、たいてい小人物だ。

まず、その肩書きであるということを他人に知ってもらいたいからだ。

「○○の▲▲です。」

という人はたいていそうだ。


環境は自分で変えなくては、勝手に変わりませんよ。

ではまた。

豊かな人生の道標~人生一度っきり。

人生の後半にさしかかって、やっと「自分の人生」について見えてくるもの。 さあ、はじめよう、思い立ったときがチャンス!