【泣ける話】12歳上の父と6歳上の姉。

高校の時、母親が病気で亡くなった。

父は弱い人だったのだと思う。

苦しむ母親から目をそらして、他に恋人を作って、母親が亡くなると家を出ていった。

「高校卒業までは面倒をみる。その後は自力で暮らしてくれ」

受験も追い込みに入る3年生の秋、わたしはこうして独り暮らしを始めることになった。


わたしの通っていた高校は進学校で、ほぼ100%の生徒が大学を目指していた。

わたしだけ、大学受験という目標は消えた。

授業料や家賃や光熱費は父が負担していた。

生活費は送ってもらえなかった。

どこを探しても家にはお金がなかった。


父の新しい相手は他人の奥さんだった。

きっと慰謝料のために何もかも持っていったのだろう。


わたしは母の死から立ち直れていなかった。

バイトと奨学金で自力で進学することすら思いつかない世間知らずの甘えた娘だった。


「お金を送って」と父に連絡すらしなかった。

父を憎みすぎて声を聞きたくなかったから。

目先のお金がなかった。


受験勉強する友人から離れてアルバイトを始めた。

お小遣いをかせぐバイトはあんなに楽しかったのに。

食べるものがなくて追い詰められてするバイトは苦しいだけだった。


心配してくれる友人はいた。

大人の人も。


父の噂がひろがり、わたしは恥ずかしさと情けなさで、周囲の人から距離をおいた。

年が明けて、TVでセンター試験の話題が出始めたころ、心が折れた。


バイトに追われてはいたが、惰性で勉強は続けていた。

それをやめた。


年末年始のわずかなバイト料を持って、わたしは家出をした。

昔は仲良しの家族が住んでいた、もう誰もいない賃貸マンションから逃げた。


3年生の登校日はもうほとんどない。

誰も心配もしないし探そうともしないはず。


遠い場所まで逃げた。

冬の家出はつらい。


考え事をしたいだけなのに、寒くて外にはいられない。

怪しまれないようにネカフェを転々として、お金はどんどん減っていった。


最悪の決心をした。

援助交際をしよう。

処女を売ろう。

体を売ろう。


街に立って親切そうな人にこちらから声をかけることにした。

良さそうな人はなかなか見つからない。

ようやく優しそうな30代くらいの人に目をつけた。


声をかける前に目が合った。

「何か?」

「あの・・・」

練習したはずなのに、わたしと遊びませんか、とは言えなかった。


その人は察したらしかった。

じろじろと見られた。

警察の人かも知れないと思っておびえた。


「家出?」 頷くわたし。

「お金がない?」 また頷く。

「泊まるあては?」 首を横に振る。


男の人は少し考え込んだ。

そして「一緒においで」といった。


立派なマンションに着いて、少し驚いた。

エレベーターで上がり、男の人は「ただいま」といってドアを開け

わたしに「上がって」といった。


「おかえり」と若くて綺麗な女の人が出てきたときは死ぬほど驚いた。

「あら、こちらは?」

「俺もよく知らん。家出してきて困ってるらしい」

「ええ? あら、それは、えっと、あ、とにかく上がってね」

奥さんらしかった。すごく驚いて慌てていた。


先にお風呂をすすめられた。

その間に夫婦会議があったようだ。


わたしがお風呂から出ると、奥さんはすっかり落ち着いていて

「大変だったね。すぐご飯にするから」と笑いかけてきた。


こんな展開になるとは思わなかった。

どっと安心した。

事情はきかれなかった。


でも黙っていたら怪しまれるし、間が持たない。

食後のお茶の時間、わたしは勝手に自分の事情を説明した。


時々、質問された。

2人とも真剣にきいてくれた。


奥さんは口に手をあてて「つらいわね」と涙声でいってくれた。

旦那さんも「つらいな、それ」といって黙ってしまった。


わたしは思わず泣き出してしまい、

ご夫婦はわたしが泣き止むまで

長いこと待っていてくれた。


それから覚悟を決めて、

旦那さんに援助交際を持ちかけようとしたことを謝った。


信じてもらえる自信はなかったけど、

今回が初めてだと必死に強調した。


怖かった、もう二度としないと言った。

奥さんは「ああ、そういうことか」と旦那さんの方をちらっと見て笑った。

「成功してたら旦那とあなたをグーで殴るとこだった」

「もうこんなこと考えるのもだめ」

優しく言われた。

怒られはしなかった。


「ごめんなさい」と繰り返して、また泣いた。

旦那さんは30歳、奥さんは24歳。

新婚さんだった。


「落ち着くまで泊まっていくといい」

お言葉に甘えることになった。

翌日、学校の先生に連絡をいれてくれた。


「そうですか、よろしくっていわれたよ。冷たいもんだな」

旦那さんは苦笑いしてた。

騒ぎになってなくてよかった。


「のんびりしててね」

何日かはそうした。

いつまでも何もしないでいると申し訳ない。


奥さんの家事を手伝わせてもらうことにした。

奥さんは優しくて明るくて、急に姉ができたような気がした。


2人並んで旦那さんに「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を言うようになった。

「不思議な光景だな」と旦那さんは笑った。


ご夫婦に相談に乗ってもらって、今後のことを話した。

「地元が嫌ならこっちで職探ししたら? こうなったら最後まで協力するよ」

そうしますといって卒業式に出るために一度帰宅した。


お寺に行って母のお墓の供養のことを頼んだ。

卒業式の後、安い菓子折りを持って、

近所や学校の先生や友人宅に挨拶回りした。


父には「○○で働きます。引っ越すので後始末よろしく」とだけ連絡した。


みんな旦那さんのアドバイスに従ったこと。

「それでいい。けじめは大事だよ」と旦那さんに言われた。


父からは卒業祝いか手切れ金か、いくらかお金が振り込まれた。

「いまさら」と腹が立った。

「無視されるよりましだと考えたら」と慰められた。


そのお金で引越しができた。

ご夫婦の近所のアパートを紹介してもらった。


心苦しかったけど、お金を借りて敷金と礼金を払った。

アルバイトはすぐ見つかった。


バイトしながら正社員の口を探す日々が始まった。

最初は疲れてしまって、食事はご夫婦のお世話にばかりなっていた。


奥さんが何かと物をもってきてくれた。

2週間くらいで体が慣れて自活できるようになった。


今はある会社で経理事務をやっている。

節約すれば貯金もできる。


正社員として決まったとき、ご夫婦はすごく喜んでくれた。

「娘が独立したみたいだ」と旦那さんは笑った。

「妹でしょ」と奥さんも笑った。

「俺が12歳のときにできた娘」と旦那さんがいった。


年齢でいえばそうなる。

ご夫婦にいろいろ借りてしまったお金も少しずつ返せている。


まだ先は長いけど。

どうしてこんなに親切にしてくれたのか聞いたことがある。


「たまたまだよ」と言われた。

「誰でも助けるかというとそうじゃないが。でも放っとけない」

ご夫婦のこともいろいろときいた。


わたしほどじゃないけど、

お2人ともあまり良い家庭環境ではなかったこと。


それで意気投合して温かい家庭を作ろうと、

奥さんが卒業してすぐに結婚したこと。


「そうは見えません。奥さんはずっと幸せに育ったお嬢様みたい」というと

「あら嬉しいことを」と奥さんは笑った。

「俺のおかげだな」と旦那さんがいった。

「でもね、きみには悪いけど、俺たち、きみ以上にきみのお父さんを

嫌いかもしれないよ」と言われた。


「子供捨てるような親はね、大嫌いなんだ」と旦那さんがいった。

奥さんが頷いて、わたしの方を見て「ごめんね」といった。


今でもご夫婦のお宅をたまに訪ねている。

仲良しのご夫婦を見るのが好きだから。


自分の両親も昔はこうだったと思うとつらくなる。

でも、このお2人のおかげで将来は自分も温かい家庭を持ちたいと思うことができる。


わたしには母がいた。

亡くなってしまったけど優しかった母。

優しかった父はどこかに消えてしまった。


かわりに6歳年上のお姉さんができた。

12歳年上のお父さんもできた。 

豊かな人生の道標~人生一度っきり。

人生の後半にさしかかって、やっと「自分の人生」について見えてくるもの。 さあ、はじめよう、思い立ったときがチャンス!