【切ない話】特攻の「後顧の憂い」なってはならぬと入水自殺した妻娘へ~藤井一少佐の遺書
藤井一中尉の妻、福子さんは、
二人の幼子を連れて飛行学校の近くにある荒川(埼玉県)に入水自殺した。
翌日の昭和19年12月15日早朝、
晴れ着を着せた次女千恵子ちゃん(1歳)をおんぶし、
長女一子ちゃん(3歳)の手と自分の手をひもで結んだ3人の
痛ましい遺体が近所の住人によって発見された。
すぐに遺体が藤井中尉の妻と子供であることが判明、
熊谷飛行学校に連絡された。
知らせを受けた藤井中尉は、
同僚の鳴田准尉といっしょに警察の車で現場に駆けつけた。
車の中で、藤井は、
「俺は、今日は涙を流すかも知れない。今日だけはかんべんしてくれ、解ってくれ」
と、呻(うめ)くような声で言った。
鳴田には、慰めの言葉は見つからなかった。
師走の荒川の河川敷は、
凍てついた風が容赦なく吹きつける。
歯が噛み合わないほどに寒い。
凍てついた川の流れの中を一昼夜も漂っていた母子三人の遺体は、
ふく子の最後の願いを物語るように、
三人いっしょに紐で結ばれたまま、
蟻(ひな)人形のように仲良さげに並んでいた。
その遺書には
「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、
思う存分の活躍ができないでしょうから、
一足お先に逝って待っています」
という意味のことが書かれていた。
福子、24歳であった。
凍てつくような12月の荒川べり、
変わり果てた愛する妻と子供たちの姿を見て、
藤井中尉はその前にうずくまり、
優しくさするように白い肌についた砂を払い、
そして呻くように泣いていた。
葬式は、軍の幹部と、家族と隣り組だけで済まされた。
教え子たちの参列は禁じられ一人の姿もなかった。
【藤井中尉の遺書】
冷え十二月の風の吹き飛ぶ日
荒川の河原の露と消し命。
母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、
一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、
然も笑っている如く喜んで、
母とともに消え去った命がいとほしい。
父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。
嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、
だっこしてねんねしようね。
それまで泣かずに待っていてください。
千恵子ちゃんが泣いたら、
よくお守りしなさい。
ではしばらく左様なら。
父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。
では、一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴。
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